• 2024年9月17日

ひらのの巻

平野区限定情報誌

第4回「番外編~其之弐~」の巻

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チョー二郎夢日記

第4回「番外編~其之弐~」の巻

かつて大事な帳簿類には「柿シブ」なるものが塗られておったそうな。
“柿シブ”には耐水性や防虫効果があり、昔はごく一般的な塗料として
和紙だけではなく、米櫃等の生活用品、漁具、建築物等多様に使用されていたらしい。

従って火事など起ると大事な帳簿類は井戸に放ったんだって!
燃えて無くなるよりも水に濡れてモワモワになった方がまだイイもんねぇ~。
化学薬品と違って天然成分の塗料だからエコだし、むしろ今の時流に
合っているってのが少しシニカル的ではありますが・・・。

ホント、先人の智恵ってスゲェーなぁ~なんて、感心する事しきりです!
またそれら帳簿は現在の文具屋さんみたいなお店で売られており、
購入すると表紙となる表と裏にタイトルと名前を書いてくれたそうだとか。

言わば手書きの名入れサービスってなところでしょうか・・・。
さぁ~てと、グダグダと前置き(笑)はこの辺でお終いにして
“お宝”を実際に見て頂きましょう!

目ン玉ひんむいてトクとご覧あれ!!


金銭渡 金銭渡2 金銭渡3
チョーさん宅に伝わる1874年製(明治6年)「金銭渡」なる帳簿。
現在で言えば「領収書」であります。
勿論、タイトルとなる「金銭渡」の文字は名入れサービスによるもの。
「松村熊治郎」とはチョーさんの曾爺さんにあたる方だとか。 代金を受け取ったものがここに記帳して領収書としたんだって!
昔は紙が貴重だったから、今みたいに複写の伝票でホイっと渡す事なんて無かったのだ。


勘定帳 これは昨年、チョーさん宅のご近所の蔵から
発見されたという「勘定帳」。チョーさんの
属する町会の「町内金銭出納簿」だとか。
明治35年~昭和25年までが記録されており、
紐解けば戦時中の混乱振りがよ~くわかるのだとか。
町内金銭出納簿裏面 裏面。
「町内中」と記されております。
ホント町内会ってカンジ(笑)


常会議事録 中面
これは町会の中で更にグループ分けされた
「隣組」の「常会議事録」。
表紙面にしっかと
「昭和拾六年(16?)弐(2)月、第拾弐(12)組」
と書かれております。
中面はこんなカンジ。
会で話し合われた事や行われた事が
書かれているのだとか。
中面2 バリバリ戦時中と思わせる記述を発見!
「防毒面装着~毒ガス~」云々とあります。
ガスマスクの取り扱い演習が行われたと
いう記録だそうです。
裏面2 因みにこの帳面は国道25号線沿いの
三井住友銀行があるところにかつて
あった「三杉商店」という事務屋さんで
購入された証です。
当時の価格は0.6円、即ち60銭っちゅう事やね。


尋常小学校読本 尋常小学校読本中面 尋常小学校読本中面2
尋常小学校読本(明治20年)、当時の教科書。 おぉー何だか大層やなぁ~。 「今こそ、わかれめ、いざさらば。」だなんて・・・。


謡曲集 謡曲集中面 謡曲集中面2
天保年間(1800年代初め頃)に刊行されたと思しき「謡曲集」。
“謡曲”とは能などの台詞や脚本にあたる部分に節をつけたものらしい・・・。
現在で言うところの“うた本”ちゅう事やね!(ホント?)
中面はこんなカンジ。 虫食い等でかなり痛んでおりますが確かに“天保”の文字がっ!


百科事典の一種 百科事典の一種中面 百科事典の一種中面2
嘉永年間(1800年代中期)に刊行されたらしい百科事典の一種。 中面は・・・字、小っちゃ! “松村九兵衛”との明記がありますが、チョーさんのご先祖様ではないそうです、あしからず・・・。


書物 論語」からはじまって「孟子」だの「易経」だの、
“子曰く~”っちゅうヤツやね!
因みにこれらは明治期のものだそうですが
チョーさん曰く「“含翠堂”ではおそらくこの
ような書物を用いて講義が行われていたのだろう」とのこと。
書物中面 おぉー漢字ばっかりやん!
先人達はこれらで勉強していたなんてスゲェ~な・・・。
書物表紙 書物表紙1
表紙には現在で言うところの“エンボス加工”が施されております。
和紙にエンボス、その上から“漆”でコーティングしているんだって!
因みによ~く見ると「三つ葉葵」の模様がっ!
ひょっとして徳川家との何がしかの縁があるのかも!?
(歴史って浪漫やねぇ~)


享保年間のお札 享保年間のお札裏面 享保年間のお札拡大
で、出ました約300年ほど前となる享保年間のお札を発見!
これは平野と同じく自治都市であった堺でも使用できたお札だそうです。
上部に「堺組」と印が押してあるのが見てとれます。
当時、4000文で1両だったとか。(写真は300文と500文)
裏側はこんなカンジ。 「享保十五年」の他に「楮」(こうぞ)という文字も。
“楮”とは和紙の原料となる植物なんです。


手形 手形拡大 手形拡大2
江戸末期、平野郷で流通していたとお思しき「手形」。 「摂州平野郷町」と明記されております。 裏側最上段には昔の地名「野堂町」とあります。

 

手形拡大3 手形拡大4  
裏側中段にある挿絵。
よ~く見ると笹の絵が。
これは環濠の土塁に植えられていた
竹の事を指しているのでしょうか・・・。
(ホント歴史って浪漫やねぇ~)
かつての平野郷での有力者、末吉家と
奥野清順氏の記名があります。
彼らの名前こそがこの手形の証だったんだね!
因みに奥野氏は鎌倉時代から続く平野の名士で
医師としてまた“平野薬”でも有名な方だったとか。
 


奥野氏邸宅
昭和50年頃撮影の奥野氏邸宅。
現在は建替えられているそうです。
(写真提供:松村長二郎氏)