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当時の含翠堂の絵図(複製)
向かって左手に刀を置く場所があり、そこで刀をおけば教室内は侍と町人の身分の差は一切無かった。 資料提供:平野映像資料館
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「含翠堂」創設時の看板となった書
松村氏所蔵「平野含翠堂史料」(梅渓昇・脇田修 編著)より
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ひらのの巻2006年11月号「チョー平野郷な話」の中にもあるように七名家の中の「土橋家」(つちはしけ)が中心となって創設。 “含翠堂”とは言っても専用のお堂とか校舎、施設があったわけでは無く、“井上さん”宅の一室を借りて開かれていたそうな。 明治時代に入り、閉鎖される155年もの間ずっ~とそのSTYLEを貫いたのだそう…。(その理由についてはチョー二郎氏の見解を後述にて!) この学校のコンセプトは ・授業料無料! ・お金持ちだけではなく、お金の余裕のある町人の拠出によって運営 ・身分に拘わらず誰でも学べる といった現代社会においても羨ましくもある超民主的なものであった…が、しかし!学則の中に奇妙な一文が記述されているらしい…。 そ、それは“七名家は例外♥”というもの…。 ハハハ…どこが民主的なんじゃい!めっさえこひいきじゃん!というお声も聞かれるが、まぁそこは現代における年金問題等で某役人達が犯した(している?)ネコババ事件や裏金問題なんかと比べるとじぇんじぇんカワイイものだけど(笑) 彼ら七名家は含翠堂にとってスポンサーでもあり運営の中心的人物であっただろうからそれぐらいは許してあげましょ♪ 何か、保険とか契約書等にありがちなメッサ小さな文字で書かれてる約款みたいではあるが…。 |